Re:Create 地方の寄る辺から

田舎と都市が入り乱れる街@京都のエンジニアが考えたことをつぶやきます。

坂を転がり落ちながら、前を向くことはできない。

先日の記事を書いてから、わずか3日。

eiichiro.hatenablog.com

下り坂を転がり急速に落ちていくような事件が起きてしまった。 これから先の仄暗い世の中の出来事と、その時感じたことを忘れないよう、ブログに書き記して行こうと思う。前のエントリもたくさん見てもらえて嬉しかったので。

事件の第一報を見たのはたまたま行った家電量販店のテレビだった。その時の感想は、「とうとう起きてしまったか」だった。厨二病的に言えば「始まったか。」だろうか。複数の画面で映し出される全テレビ局の報道は、もしかしたら忘れることが出来ない記憶になるかもしれない。

眼の前の出来事を消化して、いかに前を向くか。心意気だけでも書き込めていく。


思考実験として、自分がどうしようもない孤独な状況になっていて、劇的に世の中の状況を変える方法を考えた時に、何をするだろう?と考えだしたのは、この1年ぐらいだろうか。

短絡的な方法は、今日起こった事件しか残っていないという結論になってしまっていた。自分は絶望するような状況ではないが、そう思いたくなるような人は数多くいるだろうという想像のもとだ。自分ではどうしようもない状況で、政治が悪いと思いたくなり、世の中を変える方法はないのか?お金もない。能力もない。人脈もない。そんな人間に世の中が変えれるはずなどない。そう絶望したときに、何ができるだろう?この今を作り出した張本人に仕返しするしかない。標的となるのは、今日亡くなったかのひとか、某竹中氏だろう。たとえ、そう思った人が、世の中に一人ぐらいなら、現実化する可能性は低い。ただ、全国にそういう人がごまんといる状況になっているのではないか。そのウチの一人にでも、能力と機会があれば、起こり得てしまう。それぐらい危うい状況なのでは?という想像をしていた。

そして、もし起きた場合の後を考えると、より状況が悪くなることしか、想像できないのだ。恐怖に駆られた弾圧が始まるか、救いを求めて大政翼賛的な運動に発展するか。その方向に救いはないのに。

今回に限って、誰が悪いという話ではない。そういう世の中になってしまった。ただ、これだけのことだ。私は常に傍観者的な立ち位置を取らせてもらう。ゴーストスイーパー美神のアシュタロス編に出てくる歴史の風に例えるよう、たとえ時計の針を戻して、犯行現場で彼を取り押さえても、第2第3の彼が現れて別の事件を起こすだろうという立場だ。運命論者なので。

2.26事件、桜田門外の変、嘉吉の変、大乱の前には、必ず世間を揺るがす大事件が起きてる。今回も例外ではないかもしれない。そうならないことを祈っているが、私一人には何も出来ない。


今回の加害者に対して、私はとても同情的である。なぜか?自分は関係ないポジションにいるから、怒るのも変だからか、いやむしろ諦観であろうか。 自分がなんとか生きていられるのは、周囲に恵まれたという一点において、成り立っているのであり、彼がうまくいかなかったのは、周囲に恵まれなかった、もしくは運が悪かったの1点で説明できてしまうからである。彼は、私がそうなりえた選択肢の一つなので、同情するしかないし、同じように撃たれた、かのひとも、私がそうなりえた選択肢の一つであるから、どちらにも同情するしかないのである。

この考え方は、キレる17歳とか言われた時代の人なので、いつ自分が犯罪者になってもおかしくないという認識があったせいかもしれない。そういえば、高校に入学してすぐに爆破予告があったことを思い出した。これだけ話すと特定されちゃうかもね。まぁ別に良いのだけど。自分は暴発しなかった。闇に落ちることは辛うじて踏みとどまれた。環境に恵まれただけのことだろう。もし報道されたように40歳ならば、彼も私と同じキレる17歳世代の生き残りである。

物語の主人公がたった一人の先輩や師匠に才能を見出されるよう、誰しもが何かしらの才能を見出され、その人が輝く場所が与えられる。そんなの世の中であれば、こんな事件は起きなかっただろう。とあるブコメにも書いたが、自作の銃を作れるほどの技術のある人が、なぜ凶行に及ばなければ行けないほど、行き詰まってしまうのか?そんなの世の中のほうが問題だろう。技術をもっている人、せっかく社会で育てた人材を社会が活かせてないのだから。

採用もやっている身としては、そんな簡単に雇うとは言えないんだけどね。そんなに稼がずとも、バイトの給与で結婚できるぐらいの世の中になることを望むのだけれど。


タイトルの通り、世の中の空気は、まだ誰も前を向いていない。どうやればよかったのか?何がわるかったのか?誰か止めれなかったのか?まだ後ろを向いてる。何かを足して、パッチで塞ごうとしている。本当に大事なことはそこじゃない。彼のような前を向いて生きていけない人をいかに作らないか、社会的包摂で受け止めることができないのか?である。社会から逸脱しかけた人に対する世の中の空気は冷たいままである。私達が17歳のころから変わっていない。

私は、震災のときに、もう一度作り直せば良いんだよ。と言い切ったおじいさんが大好きだ。画像を探したけど見つけられなかった。

私はシステム屋さんなので知っている。一度壊れたシステムを修正してもう一度動かすより、新しいシステムを作り直した方がコストが安くなることが多いと。まぁ部分移植が最適解なんだけどね。日本という社会システムは、延命すべきなのか、壊して作り直すべきなのか?複雑になりすぎた社会システムは疲弊してしまう。まだ延命することは出来るだろう。まだ壊れてないのだから。壊れてしまった事実がないと、だれも作り直そうとは考えないだろう。ソフト・ランディングのタイムリミットはとうの昔に過ぎてるしね。もしかしたら、ものすごく優秀な人が出てきて、あっという間に立て直してしまう可能性も0ではない。

私が今ここにいるのは、たとえ壊れてしまっても、ある程度生き残るための仕組みを動かすためなのだと勝手に思っている。何かあったときには、人と人とのつながりは途切れないし、社会インフラはどんな時でも大事。末っ子気質で、借りを作ってばかりの人生なので、万が一に備えた場所にいるぐらいのことでしか、恩は返せないと考えている。借りた帰りは他の人でも返すことできる。これはとある旅の最中に学んだこと。なので、困っている人が目の前にいたときに、出来るかぎりのことはしたい。本当に微力でしかないが。

どんな状況になろうとも、それぞれが、それぞれの立場で、社会のためにちょっとでも良いので、前を向いて建設的なことをする。 ただそれだけで、少しずつ世の中は良くなっていくと思っている。